コラム

「この世の始末、請け負います。」第一章【面影】④

現場には首都高速湾岸線を走り、約一時間で到着した。いわゆる下町と呼ばれている場所で、古い町並みが続く。
程なくすると現場へ到着した。トラックをアパートに横付けして道具を下ろす。一旦、養生材と清掃用具だけを取り置き、昨日のコインパーキングに向かった。
エンジンを停め、ダッシュボードから数珠を取り出し車から降りた。部屋に向かう途中、自動販売機で水を二本買った。作業中の脱水症を防ぐためだ。

アパートの前に到着した。両手で持てるだけの道具を、二階にある現場の玄関脇まで運ぶ。この作業をもう一度行なうと道具はすべて整った。
玄関前をほうきで掃き、三メートルほどの長さに切った緑色のビニール養生をドアの前に敷いて、その周りをガムテープで押さえる。すべての道具をその上に置き直し、その中から防毒マスク、防護眼鏡、七十と九十リットルのゴミ袋、雨合羽、ゴム手袋、足袋、養生テープを拾い出し、バケツに入れた。

ポケットから部屋の鍵を取り出し、ドアをそっと開ける。ハエの攻撃は今のところないようだ。道具の入ったバケツを部屋に入ってすぐの廊下に置き、消毒液と薬品噴霧器も一緒に並べる。
ドアを締めブレーカーを上げると『ブーン』と冷蔵庫が動き出した。
道具入れから足袋を取り出し、靴を覆いかぶせる。これで室内に入ることが可能になる。

短い廊下を通りふすまを開け様子をうかがう。ハエは飛んでないようだ。が、思ったより多くのハエの屍骸が畳の上に散らばっている。昨日から今朝にかけて孵化したのか。短いながらも飛行体験して命尽きたのだろう。
玄関にもどって雨合羽の上着を着る。下は着ない。作業ズボンのまま仕事をする。以前に二度、脱水症で倒れた経験から、できるだけ通気性の良い格好で作業を行う。よくテレビで福島原発へ向かう作業員が着ている『タイペック』といわれる通気性の良い使い捨ての作業着もあるが、それは着ない。万が一、作業途中に部屋を出て、白い防護服を身にまとった姿で近隣の方と出くわしたら、または偶然窓から覗き見られたら、その人はいったいなんと思うだろう。『ここでいったい何があったんですか?』と疑問と不安でいっぱいになるに違いない。よって着用はしない。本当は着たいのだが、そこはぐっと抑える。
後ろポケットに挿してあるタオルを引っこ抜くと頭に巻き、左のポケットから数珠を取り出し首から下げた。雨合羽のフードを被り、その上から防毒マスクを装着する。ゴム手袋をはめ、雨合羽とゴム手袋の境目を養生テープでしっかりと塞ぐ。これは作業中に虫の死骸や体液の侵入を防ぐためだ。
こうして装備は完了。次に噴霧器に一リットルほど消毒液を入れる。
消毒液は人体に無害で、かつ殺菌力の高いものを使用している。親っさんに聞いたところ、この薬品に出会うまでは作業の後、結膜炎や下痢、嘔吐、原因不明の高熱など、多くの症状に悩まされていたようだ。
薬品の準備が終わるとほうきを手に取り、歩き回る動線に落ちているハエの死骸をざっと履いていく。この後の消毒作業の際、足で屍骸を踏みつけないためだ。実はこの作業が後に現場の仕上がりを左右する。
目を覆う防護眼鏡をかけ、左肩に噴霧器を引っ掛けた。左手でポンプから伸びるバーを何度も押し込み、噴霧器内に空気を蓄圧する。噴射口を部屋の天井に向け、右手で開栓コックを開くと消毒液が勢いよく霧状になって拡がった。