コラム

「この世の始末、請け負います。」第二章【十円】③

靴下を脱ぎ浴室の引き戸を左に引いた。

浴槽は小さくブルーのFRP製の物が使われている。最近はあまり見なくなったバランス釜でお湯を沸かすタイプだ。床はブルーのタイル貼りで壁も床から約一メートルの高さまで同じものが使われている。その先の壁から天井までは白いペンキで塗装されている――はずだった。

床には血だまりがあり浴槽エプロンにはもがき苦しんだのか、血だらけの手で触ったと思われる痕が数多く見られた。浴槽内には半分くらいの水が溜まっており、血で真っ赤に染まり底が見えない。体を洗うスペースには浴室用の低い椅子があり、そこを起点に壁から天井まで血しぶきが上がった痕がある。

撤去しなければならない浴室内にある残置物を見渡すと、その量はせいぜい七十リットルのゴミ袋ひとつ分くらいに思えた。

大体の確認が済んだところで浴室から出、持参したタオルで足を拭き靴下を履くと彼女の待つ部屋へと向かった。

「足立さま、お見積り金額はお電話でお伝えした通りの金額で、作業時間は約二時間ほどです」

ホッとした様子が伺えた。

「そうですか。あの…よろしければ早速お願いできますか?」

「わかりました。では道具を準備しますので今しばらくお待ち下さい」

部屋を出て車に戻るため玄関に足を向けた。

「高坂さん」

靴を履きかけたまま振り向くと、

「今の状態を見させていただけませんか?」

勇気を振り絞ったのだろう、彼女の声は大きくそして震えている。

「いや、それはおすすめできません。足立さまが今後生きていく上で必要のない光景だと思います」

あの惨劇現場を身内に見せる訳にはいかない。トラウマとして脳裏に刻みこむことはどうしても避けたかった。

「高坂さんのおかげでだいぶ気持ちが落ち着きました。でもどうしても父の覚悟が、最期がどうだったのか見ておかないといけない気がするんです」

「ですが…」

十センチほど低い位置から向けられた視線にはその女性本来の気の強さを感じた。

どれくらいの時間が過ぎただろうか。

「わかりました。では…」

浴室前まで案内すると彼女の立つ後ろに回った。

両手でそっと引き戸を左に引く。その手は僅かに震えている。

浴室の光景は想像を絶したのだろう、息を呑み腰から砕けたところを後ろから支えた。それでも一瞬で我を取り戻し、小さくうなずくと自らの力で立った。

女性はゆっくりと浴室全体を見渡している。

「わかりました。高坂さんありがとうございます」

こちらに振り向き小さく会釈をすると彼女はダイニングの奥にある和室まで行って畳にへたり込んだ。

「足立さま、少し横になられたほうがよろしいのでは…」

「はい…そうさせていただきます」

返事を聞いてから静かにふすまを閉じる。

しばらくその前で様子を伺っていたが、自分の使命を優先すべく廊下へ踏み出したその時、彼女のすすり泣く声が聞こえてきた。

靴を履き玄関を出て鉄製のドアをそっと閉めると、下を向きドアに向かって大きく溜息をひとつついた。

「(失敗したかな…)」

短い階段を降り重い足取りで車に向かった。
空を見上げると雨雲が今にも降り出しそうに覆っている。

どちらにしても早く作業を終わらせないといけない。駐車場までの短い距離を小走りで駆け抜けた。