コラム

「この世の始末、請け負います。」第二章【十円】④

道具を両手に抱えて部屋に戻り、早速血痕を拭き取る段取りをした。薄手のゴム手袋をはめ、玄関前から作業を始めていく。膝をつき左手に洗浄スプレー、右手に雑巾を持ち、浴室の前までていねいに拭き取ると、一旦汚れた雑巾と洗浄スプレーをバケツの中に収めた。

他の場所を汚さぬよう、玄関前から浴室の入り口までの廊下をビニール養生で覆い、道具をすべて浴室の前に揃えて置く。

作業着の上から雨合羽を着て長靴を履き、道具箱の中から酒と塩を取り出し左手に持った。

「(さて、始めますか…)」

天井を見上げながら呼吸を整え、再び浴室の引き戸を左に引いた。

浴室内全体を見渡たし深く頭を下げ「お疲れさまでした」と一言小さく呟く。ゴム手袋を脱ぎ酒と塩が入る瓶のフタを開け、雨合羽のポケットに押し込むと塩、酒の順番で一摘みずつ浴室内に人差し指で弾いた。

道具入れの中に塩と酒を収め、ゴミ袋を一枚取り出し袋の口を大きく開けておく。改めてゴム手袋をはめ直し、雑巾の入ったバケツを手にして浴室内へと入った。

足元の状況を確認しながら後ろ手で引き戸を閉めると浴槽の中を覗き込む。水は血で赤く染まっているものの、配管を詰まらせるほどの異物がないことは確認できた。

洗い場に目をやると使いかけのシャンプーと固形石鹸が鏡の前に置いてあり、それを手に取りゴミ袋へ入れた。続いて壁にかかるタオルや洗面器、歯ブラシと髭剃りのささるコップ、そして人生最後の着衣であった肌着に老人用紙おむつも入れた。

ひと通りの物をゴミ袋へ入れたが気になる遺留品が三点、床の上に残った。ひとつは部分入れ歯、次に長年愛用いていた銀縁で分厚いレンズの眼鏡。そしてもうひとつは柄がピンク色の、俗にいう十円カミソリだった。

警察は現場検証を終え事件性がないと判断した場合、現場に凶器を置いていくのが一般的だ。十円カミソリを手に取ると、刃元をしっかり握って使ったのがわかる親指と人差し指の血塗られた指紋が残っていた。

浴槽のエプロン上には左手が置いてあった場所、反対側のエプロンには頭があり首から流れたのか夥しい量の血痕がある。そして意識が遠のき右手の力がなくなって床に落ちた十円カミソリ…。この十円カミソリが家主の命を奪った凶器であることは間違いなかった。

浴室内で家主が絶命するまでの物語が脳内スクリーンに繰り広げられていた。

何度も大きく頭を左右に振り停止ボタンを押すと、ゴミ袋の中からタオルを取り出し十円カミソリを包んでまた袋の中に戻す。

気鬱を払い除けて道具入れの脇に眼鏡と部分入れ歯を置き、ゴミ袋は浴室を出て玄関近くまで運んだ。

浴室内に戻り作業をすべく引き戸に手をかけた時、家主が愛用していた眼鏡が目に入った。

「(なぜ家主は自殺を図ったのだろう…)」

ここに至った経緯が気になって仕方がなかった。

脳裏で物語が再生されそうになったところでふと我に返り、作業に没頭するよう努めた。

どちらにしても早く作業を終わらせないといけない。駐車場までの短い距離を小走りで駆け抜けた。